日光御成道Walking その2(赤羽~東川口)
10日分ちょっと街道歩記をため込んでいたが、少しずつ再開したいと思います。
日光御成道の2回目は、赤羽~東川口(武蔵野線、埼玉高速鉄道線)までを歩いた。距離的には13kmくらいしかなく、中途半端なのだが、朝、出遅れたことと、東川口から先は岩槻まで行かないと交通の便が悪く(岩槻もあまり便がいいとはいえない)、夕方に床屋を予約してしまったので、安全策をとった。
宿場としては、①岩淵、②川口、③鳩ヶ谷の3宿を通過するルートである。
朝、ゆっくりとしてしまい、赤羽駅を11:10に出発。
線路東側に沿って歩いていく。この道路の東側に1本平行して、飲食店がたくさん立ち並ぶ小路があり、そちらの方が何となく旧街道ぽい感じがある。
国道122号線である北本(きたほん)通りと環八通りの交差点を渡る。この交差点が環八通りの終点になっている。この辺は、国交省の荒川下流河川事務所に何度も来たことがあるため、よく知っている。交差点の向こう側に地下鉄南北線の赤羽岩淵駅がある。
つい最近まで、東京23区内で唯一の日本酒蔵だった小山酒造(銘柄は丸眞正宗など)の前を11:23に通過。このあたりが岩淵宿である。荒川右岸側の渡しのために設けられていた。なお、2016年に港区芝の東京港醸造が日本酒をリリース開始したため、現在は唯一ではなくなった。
新河岸川を渡る。中央奥に見えるのは、岩淵水門(荒川と隅田川の間の水門)と荒川下流河川事務所の建物と通信鉄塔。
新荒川大橋を渡るのはこれが初めてある。江戸時代の荒川(隅田川)はもう少し曲がりくねって流れていたのが、県境のラインをみてわかる。荒川の下流側を撮影。
川口市のマンション群。ここから埼玉県(川口市)に入る。
橋を渡った左岸側。中央の建物は芝川排水機場。
岩淵方面を振り返ってみる新荒川大橋。
左岸堤防を上流側に150mほど歩いた地点が江戸時代の渡河地点。現在は高規格堤防化されて、幅広く盛り立てられ、堤防上に学校やお寺などが移設されている。
昔の渡河地点にある鎌倉橋の石碑。昔はここに小川があり、橋があった。日光御成道と鎌倉街道の案内板があった。この付近では日光御成道と鎌倉街道は同じルートを通っていた。
鎌倉橋から北に進む日光御成道。この付近が川口宿で荒川左岸側の渡しのための宿場であった。岩淵宿と川口宿の距離は2km弱と短い。川口宿本陣付近を11:42に通過。
県道に合流した交差点にある広場。日光御成道と川口宿の案内板があった。
100mほどで国道122号線に再合流する。
芝川を渡る。現在は北側に新芝川が開削されており、流量は多くない。
埼玉高速鉄道の川口元郷駅を11:51通過。
国道122号線を3km弱歩いて、埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷駅前を通過し、まもなく新芝川(放水路)を渡る。南鳩ヶ谷駅の手前から旧鳩ヶ谷市(現在は川口市)に入る。
新芝川の橋上からみた国道122号線。
まもなく、旧道は国道122号線から右側に分かれていく。歩道橋から撮影。
旧道らしい町並。
昭和橋の交差点。埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅から東に300mほどの地点である。現在は坂下町という地名で、文字通り、大宮台地の登り坂の下にあることを示している。
見沼代(みぬまだい)用水東縁(江戸時代につくられた農業用水。東縁と西縁の2本ある)を渡る。日光御成道と鳩ヶ谷宿の案内板がある。
道は少しずつ登り坂となり、鳩ヶ谷宿に入っていく。大宮台地の下の標高は約5m、台地上は約15mであり、10mほどの標高差がある。
鳩ヶ谷宿の中心部を12:42通過。鳩ヶ谷は、埼玉高速鉄道ができるまで鉄道が比較的最近までなかったため、宿場らしい雰囲気が残っている。
宿場を過ぎて平坦な台地上を歩くようになる。この付近は道路が拡幅工事されている。
首都高川口線の下をくぐる。
続いて、外環道の下をくぐる。
比較的静かな県道を歩いて行く。
戸塚の一里塚跡は小公園になっている。
台地部を横切るため掘割構造になっている武蔵野線の上を横断。
台地から低地側へと下る坂道。標高差は10mちょっとある。東川口駅の改札は低地にあるが、ホームは低地と台地の中間付近にある。東川口駅に13:46到着。
池袋方面に出て、散髪してから、池袋のベル・オーブ東京芸術劇場店に行くのだが、それは別途書くことにする。
この日は歩程が短かったこともあり、楽に歩けた。国道の歩道歩きがかなりあったが、鳩ヶ谷付近は一度も来たことがない地域で、宿場の雰囲気も残っており、まずまず面白かった。
(2016/10/15(土))
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