旧中山道Walking その11(深谷~群馬八幡)
約1か月前に、上尾~深谷間を歩いたが、残る埼玉県、群馬県の区間を歩いてしまうことにした。宿場としては、深谷(9宿目)、本庄、新町、倉賀野、高崎(13宿目)、JR群馬八幡駅までで、距離的には約37kmである。ただし、松井田~横川間で昨年うまくたどれていなかった旧道区間の往復約2.0kmちょっとをついでに歩いたので、計39kmほど歩いたことになる。
代表地点の標高としては、深谷(約37m)、旧岡部町の台地部(約50m)、小山川の低地(約40m)、本庄(約60m)、新町(約60m)、倉賀野(約83m)、高崎(約95m)、群馬八幡駅(約110m)である。利根川の支流の神流川、烏川(2回横断)といった大きな河川を横断する箇所を除くと、基本的にはほぼ平坦な台地部を歩いて行く。
朝、自宅を5:35に出発。深谷までは高崎線の普通列車を使ったが、結構遠い。赤レンガ造りの深谷駅を7:35にスタート。
駅前の広場には地元の著名人である渋沢栄一の像がある。
駅前通りを300mほど歩き、旧中山道の交差点に出て、左折。
右手に藤橋藤三郎商店(銘柄は東白菊)の前を通過。
旧中山道は、駅前通りの交差点から東側の部分よりは、西側の部分の方が旧街道らしさが残る。車はほとんど通らず静かである。
今度は、左手に滝澤酒造(銘柄は、菊泉)の蔵元を通過。この酒は、コンビニでワンカップが買えたので、近い内に飲む予定。
滝澤酒造の煙突が高くそびえる。
深谷宿の西のはずれにある枡形。
枡形の脇にある常夜灯。
宿根(しゅくね)の交差点で国道17号線を斜めに横切るが、300mほどで再合流する。
北側に大きく迂回する深谷バイパスができたため比較的静かな国道17号線の旧道。
国道17号線は左側に直進していくが、旧中山道は右手に折れていく。
小山川(利根川の支流)の低地部に下る手前で旧道は左へ進み、右折して、右側の現道に合流する。
「中山道古道について」の石碑。
小山(こやま)川の低地部への下り道。
坂の下には、百庚申がある。滝岡橋で小山川を横断。ここから本庄市に入る。
小山川の流れ。
旧中山道は、小山川の左岸堤防、次いで、途中で合流する元小山川の左岸堤防に沿って進む。元小山川には水はあまり流れていない。写真は堤防天端から撮影。
新しくできた道路によって、旧中山道は、県道45号線に分断されて、車が通れなくなっている。写真は、すぐ西側に平行している県道45号線を横断する歩行者用の地下道。地下道を歩くと、藤田小学校の前で県道258号線に出るが、旧車道を歩くとその100mほど手前で県道に出る。両方のルートを歩いたため、10分ほど余計に歩いている。
藤田小学校を過ぎた交差点で、旧中山道は直進するが、県道258号線は右折していく。
元小山川を横断。
国道17号線を横断すると、本庄市街に入っていく。
本庄駅前通りとの交差点を9:57に通過。深谷~本庄間は約11kmあるため、2時間ちょっとかかった。
国道462号線との交差点で右折するが、国道の左横に30mほど残る旧道。100mほどで、国道462号線を左折し、以後、国道17号線の南側に平行する道を歩いて行く。
神保原の手前から上里町に入る。
浅間山古墳につくられた浅間神社。
国道17号線を斜めに横断し、金久保の集落に入っていく。
右手に三国道の分岐を示す標石。
国道17号線に合流すると、まもなく神流川を神流川橋で横断する。神流川は2kmほど下流で烏川に合流する。
神流川橋の上流側に平行するJR高崎線の橋梁。神流川の水量はかなり多かった。
神流川の向こう側は群馬県(高崎市(旧新町))である。神流川橋が老朽化していることと本庄道路(国道17号線のバイパス)の計画があるため、下流側に神流川橋を建設中であり、群馬県側には橋脚が既に完成している。
神流川の左岸堤防。
堤防の横には「ようこそ高崎へ」の看板と神流川古戦場跡(戦国時代)の石碑がある。
さびれた様子の新町検問所。国道17号線の反対側には、陸上自衛隊新町駐屯地がある。
駐屯地の横で、旧道は右に折れていく。
国道17号線と旧道の分岐にあった常夜灯。
分岐を過ぎると、新町宿に入っていく。新町駅入口の手前にある行在所公園(明治天皇の宿泊を記念したもの)で5分ほど休憩(11:52~57)。
行在所公園横の旧中山道。本陣は駅入口よりも少し先にあったが、現在は何も残っていない。
温井川(烏川の支流)を横断。
温井川を渡ると、旧道は右に折れていく。ここから、一旦、高崎市を出て、藤岡市に入る。高崎市と合併した新町の部分が飛び地になっているためである。
関越自動車道の下をくぐったところから、細い旧道が残っている。
烏川の右岸堤防に沿って歩いて行く。東京方面を振り返って撮影。
右岸堤防の下に残っている旧道。
旧中山道の標識。奥は右岸堤防で、右岸側はこの付近から渡しに乗った。
現在では渡しがあった位置よりも上流側に橋があるため、再び堤防上に出て、柳瀬橋(写真奥の橋)まで天端道路を歩いていく。
烏川に架かる柳瀬橋。烏川は利根川の大きな支流であるが、碓氷川、鏑(かぶら)川、神流川といった同じくらいの川を吸収して、最後に利根川と合流する。
渡しがあった烏川の下流方面。烏川を渡ると、再び高崎市に入る。
左岸側では、渡しの乗り場跡まで200mほど下流側に堤防上を歩き、階段を下りて、旧道に出る。柳瀬橋から直進してくる岩鼻町の交差点へは、段丘の坂道を登っていく。
岩鼻町の交差点の先に少し残る旧道(左側の道)。国道17号線を横断し、さらに陸橋で高崎線を横断する。
例幣使街道の手前に200mほど残る旧道(左の道)。
例幣使街道(左の道)との分岐にある常夜灯。右の道が中山道。
例幣使街道の標識。中山道は左手奥から右手の手前側に進んでいく。
例幣使街道分岐を過ぎると、倉賀野宿である。倉賀野駅前を13:20に通過。
中山道の南側にある浅間山古墳。
街道沿いのそば屋(うちだ)にてビール大瓶と十割そばで昼食(13:40~14:30)。そばがなかなか出てこないと思っていたら、注文がを通っていなくて、20分近くロスした。そば屋から少し先に50mほど旧道が現道の右側に残っている。
国道17号線の下をくぐる。
さらに、上越・北陸新幹線の下をくぐっていくと高崎の市街に入る。
続いて、上信電鉄の踏切を渡る(写真は東京側を振り返って撮影)。
高崎駅前通りとの交差点を15:05に通過。
あら町の旧中山道沿いにある増村酒店(Cantina Vino Vino)の横を通過。残念ながら日曜日のため、やっていなかった。10年ほど前までは、イタリアワイン関係で非常にお世話になっていた。2000年には、増村氏主催のイタリアワイン会に参加するために3回も高崎まで行ったことがある。当時の店の外観は、普通の酒屋さんだった。
田町から国道354号線になる。
本町1丁目の交差点で国道354号線から分かれて、赤坂通りを直進する。ここから急に静かな旧道となって、烏川の低地部への下り坂となる。
赤坂の下の交差点を右折して、君が代橋へと向かう。
烏川に架かる君が代橋。ここからは、新潟方面へ向かう国道17号線と分かれて、国道18号線が始まる。
君が代橋上から眺めた烏川下流方向と高崎市街地方面。
安中方面の国道18号線。
君が代橋の西詰から橋台の下をカルバートでくぐり、100mほど残る旧道をたどり、国道に戻る。国道18号線から分かれて、Y字路を右に進み、国道406号線を400mほど歩く。旧道はY字路を左に曲がると、静かな旧道となる。
豊岡は宿には数えられていないが、茶屋本陣跡がある。
茶屋本陣跡から西側の旧街道。
国道18号線に合流するが、すぐに旧道が200mほど残っている箇所がある。
国道18号線に戻るが、将来の拡幅計画のためか、広い路側帯が400mほど続く。左側の土手は碓氷川の左岸堤防。
だるまの工房前にあった石像。このあたり(豊岡、八幡)が高崎だるまの製作がさかんな地域である。碓氷川をはさんで向こう側には少林山達磨寺がある。
だるま工房の先の交差点で歩いていなかった区間は終了。これで日本橋から下諏訪までつながったことになる。交差点を右折してJR信越線の群馬八幡駅まで600mほど歩く。16:28に駅到着。まだ夕暮れまで時間があるので、松井田~横川間の旧道区間の一部を歩き直すため、約30分の電車待ちで西松井田駅へと向かった。
この日はうす曇り時々晴れで、午前中はまだよかったが、昼から暑くなり、昼食を摂るまでは、水分、エネルギーが切れかけて死にそうだったが、昼食後には復活できた。また、前回まで長袖シャツで歩いていたのだが、今回は暑いので半袖、短パンで歩いたところ、日焼けして、帰宅後かなり消耗した。
(2016/6/12(日))
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